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夏休み、自主保育で自分と仲間と出会う時間

7月中旬、二日間の自主保育を行いました!


学び多き時間でした!
森の保育は、子どもたちの主体性を大切に、大人は一人ひとりの状態や課題に添って関わる。頭では理解してるけど、いざ行動に移そうと思ったら身体が動かない!
その視点が頭からすっかり抜けてたり、言葉掛けに迷いがでたり…子どもの心の奥を見ようとしても、肩肘ばかりはって、見えてこない!
身体に染み込ませて実践するのは大変なことだな〜とにかく経験を積んでいくことだなと感じました。


自由な環境の中で、子どもたちにどんな体験をさせたいか。
年中組のYとKと、きのこを見つけたり恐竜の話をしたりまったりと過ごしたときのこと。
Yはいま頭の中恐竜でいっぱいなんだろ〜なと微笑ましく感じたり、KがYの「〜サウルス知ってる!?」の質問攻めに付き合っていて和やかな雰囲気。
けど私は少し焦り始めた。「せっかく森に来てるなら森らしい体験を一緒にしなきゃ」と。みんなが駐車場へ向けて散歩に行ってたので、話しながらそちらに向かい合流した。。

 

自由に過ごすって難しいな。大人が保育内容考えて提供するほうが大人は安心できる(こういう体験を一緒にやりました!とわかりやすく言えるから)という一般的な感覚が理解できた。

自由だからこそ、子ども一人ひとりの育ちや課題や見えない部分に添うという視点がないと、ほんとにただ遊ばせるだけになるなと感じた。

ただ眼の前のふたりの"行動"をみて判断してこちらがどうかしようと思う前に、まず心の奥を感じようとして(二人にとってのこのまったり時間の意味合い)、その上で提案できるがあればしていきたいと思った。


初日、年長のYとMが、捕まえたコクワガタをどっちが連れてかえるかで揉めてた。最終的にMが持って帰ることで話は終わったけど、Yは納得しきれてない様子。本人に問うても「また他で捕まられるから」と言うが…。それに対し、保護者のお母さんたちが「本当にそれでいいの?」と寄り添ってくれてた。

振り返りでその話を聞いて、私は「納得いくまで、クワガタ欲しい気持ちを出し切ってほしい!」と言ったけど、あるお母さんは折り合いをつけその選択を自分で引き受けるという状況だったんじゃないの?というニュアンスのことを話してくれて。
家に向かう道中車の中で改めてYに聞くと、「明日Mがまた捕まえてくれると言ってたし、また見つけるチャンスあるから今日はもういいと思った」と言っていて。Yなりに折り合いつけて納得してた。(そりゃほしいという気もちは残ってるだろうけど) これも大切なプロセス。

「欲しい気持ちを出し切ってほしい」というのは私の期待なのであって、やえのその時の決断を受け入れないのは違うよな〜と後で思いました。

当人の決断を受け入れる、尊重するというところを基本に、やり残しがないか問いかけて必要あればサポートしたい(こっちの引き際も見極める)と改めて思わされたやり取りでした。

翌日は二人でコクワガタ探しする!と前日の続きをして、見つからなかったね〜というところまで二人でやって、自然と次の遊びに切り替わっていった。日々は連続していて、暮らしの中に人と人の関わりがあることを体感させてもらった。
大人もその視点がないと、正誤で考えたり決着をつけようとしたりしてしまいがち。


二日目、年中Kがお母さんとバイバイできず、仕事場へ一緒に行く決断をした。思い切ってこはを自主保育で引き受けたい気持ちもあったけど、母の中で受け入れ体制があるかそれぞれの状態シェアできてなかった。そのお母さんとKの関係性を尊重しながらも、私たちになにができたかな。。いまのベターをみんなで探していく振り返り。少し悔しさ?みたいなものもありつつも、すごく幸せな話し合いだなとも感じた!

グッと踏み込むところと、引くところと、なかなか難しい…!頭でばかり考えてたらできなそうにない。この振り返りを書いていても、自分にすごく力が入ってるのがわかる。
もっと自然体でフラットな自分で人と関わっていきたい。そうしたら見えてくるものが違ってくる気がする。
自主保育は、結局は自分を知ることに直結する時間となっています
引き続き夏休み、仲間と積み重ねていきたい時間です!

 

(年長、親子組、ベビnaCHU保護者 りえぽん)

 


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